心臓の鼓動や性的昂揚、自然や大地の流れやリズム・循環などを暗示。楽器全般と同様に自己表現や意志の表明の意味も。力強く太鼓を叩いているなら、はっきりと自分を打ち出すことが出来る可能性が。また、リズム楽器はパフォーマンスそのもののキーになりやすいため、土台や基本、大元の姿勢などの様子が現れている場合も。
自我。積極的なエネルギー。洞察力。前進への暗示。
冷たさ、堅さ、または創造性を暗示する場合も。どこに使われていたものか、或いは色などにも注目。
高い場所にいるのは、未知への不安や希望、旅立ち、新しい環境への覚悟などが現れているのかも。又、ビルや塔などの高所なら、肯定的な面であれば広い視野で物事を捉えている暗示。否定的な面では、理想過多や頭(知性・理屈)が先行しすぎている事も。夢の内容によっては、昇志向や権威への憧れ、神への狂信や依頼心、特別でありたい欲求等を暗示することも。
愛の表現や心遣いを暗示するか、状況によっては願望夢である場合も多い。他には「抱きしめた人・生き物・物」等、対象が何なのかのに注目。今の問題解決のために、その特質を必要としている場合や、それが必要な栄養剤なのかも。又、抱きしめられた場合は、既にそれは与えられているものだったり、近くにあるものかもしれないので、よく目を凝らしてみる。
誰かを助けるのは、その人から愛されたい為に恩を感じてもらいたい気持や、そんな言動を取っている場合が。助けられるのは逆に負い目を感じさせられる圧迫を感じている場合が。見知らぬ人を助けるのは、善行や力に注目されたい場合も。また、社会の競争や立場から、助けられたいと願っている場合や、魂の救済を求める場合にも現れやすい暗示。何を助けたのか、何から助けられたのかに着目を。
山あり谷ありというように底辺、「低めである谷底」を意味する場合や、しゃがみこんだ地点、今後飛躍する可能性を暗示する場合が。裂け目を連想させるような谷なら、女性器や死、冥界を暗示することも。また、神聖な雰囲気などがあれば、一時休養やリラックスによって自己浄化をし、再生してゆく過程を表してる場合も。
目覚めた時に温かい気持ちであれば、現実が好調だったり、よいことがある前触れの暗示。また、日ごろ抑圧が強いと、思い切り楽しんでプレッシャーから開放するために、夢で楽しむ場合が。大勢で騒いで楽しい夢は、現実の寂しさを癒すためのことも。
普段喫煙をする人は、リラックスや落ち着きを得るもの、エネルギー補給についてを暗示する場合があるが、基本的には「害」や「依存」、健康への不安を暗示。煙草を吸わない人や、既に止めてしまっているのに夢の中で吸う場合は、よくないものを吸収してしまったり、感染、悪癖の兆候などを暗示している場合が。タバコの煙が気になったりまとわりつく場合は、よくない物事の接近や、払うことが難しい悩みを暗示することも。
水という無意識や深い心理の中に暮らす生き物を食べることから、深い所から得た智恵や知識、目覚めなどを暗示。魚の種類によって具体的に得たものが暗示される場合も。鯉や鮭などは、上昇や目的の為に困難にも立ち向かえる強さを獲得していることを表わす場合も。
本能的衝動、性的欲求、物欲、世俗的満足などを象徴。食べ方により意味合いは異なるが、気が進まないのに食べているなら、控えた方がよいという警告であるか、逆に、これらが実生活での行動欲求やきっかけ、エネルギー源にもなる為、生気を蘇らせる為や、動物的たくましさ、強さを必要としている可能性も。
自分の内に何かを吸収し、取り入れた夢。食べ物自体に印象が強い場合には、食べ物の象徴を重視して下さい。内面的に、又は実際の健康上に必要な食物を指している事も。アイディアや打開策の場合もあり、これから自分の中でかみ砕き、吸収し、エネルギーに換えてゆく暗示も。他の人とテーブルを囲んでいる場合には、彼等との人間関係や、話し合いの必要性を現わす事もあります。異性が絡む場合には、性的欲求や問題を含む場合もあります。
文字通り、成長や発展、可能性の卵。好機や、自分の未知な側面。或いは、逆に、まだ生まれていない未熟な面を表すことも。肉体的な象徴としては子宮や卵子、または女性らしさを表す場合も。
問題解決の困難やその前ぶれ、自分の不誠実さへの嫌悪や怒り、人間関係の距離感について等を暗示。だまされた相手への抗議は自分への批判や、注意したい点である場合も。しかし、だまされて落ち込んでいるだけの場合は、解決へのエネルギーが足りない暗示の場合もあり、夢の中で向って行っている方がよい展開の可能性の時も。親しい人に裏切られたりだまされる場合は、必要以上に依存した関係になっていないかを振りかえることを促している場合が。
ルーツや遺伝的資質、生命力やエネルギーを暗示。又、「貴重なもの」でから、金銭や物質を指す事も。出血はこれらが弱っている=金銭的苦労のサイン。または、出血している身体の部分の消耗を示している事も。例えば喉であれば自己表現、腹部であれば消化不良、すなわち現状が呑み込めていない等、身体部位も参考に。実際に肉体そのものが弱っている場合もあります。
夢のイメージが重いものであれば、ダメージや損失を、血液が明るく力強く噴き出していると利益やエネルギーを指すという説も。
主に、個人的な実際の父親へのイメージや感情、彼からの影響、或いは父自身に関する物事を暗示。イメージとしての夢の場合は、自分の中にある父親と似た面や、社会への感情や姿勢を暗示。
父性原理とされる、智恵、理性、切断(区別)の思考パターンに関する物事を表わす場合多く、肯定的な夢なら、権威や責任者、秩序、保護者などの力についてを表わす。否定的なものであれば、権威や旧態への不安や内に隠した攻撃性、独裁者への怒り等を暗示することも。又、社会的立場に不安を感じ、より所や強い後ろ盾を求めている場合などに現れる場合も。
夢主の性別により暗示される内容は異なり、男性であれば同性の親への競争心や父と同じ傾向、女性の場合は異性のモデル原点としての影響を示す場合も。
日常のリズムと異なる出来事が予定されている前日に現れやすい夢。以前遅刻での失敗経験がある人や、責任感が非常に強い人等のプレッシャー。又、避けたい出来事を抱えている場合にも、それから逃れる為に遅刻する夢を見る事も。
潜在知覚夢のケースでは、慌てて目覚めた夢主が予定開始時刻を確認した所、勘違いしており、あやうく遅刻をするところだったというものもあります。いずれにしても、気を引き締めて、注意深く過ごすように心掛けるとよいようです。
人生やこれからのガイドライン、方向、探求心を暗示。又、方向をハッキリ知りたい・させたい思いの表れや、願いを現実にする為の最良の方法を探している時にも現れやすい象徴。自分自身や肉体が地図として現されている場合も。全体の形や記されている道の形状なども参照。
車は自分のバイタリティーや健康状態などを表し、それが停まる場所であることから、休息やリセットを表すことが多い。また、指定された範囲に停める場所であったり、駐車禁止の取り締まりがあることから、秩序やルールについてを表したり、自分をそれにはめ込むことに関係する場合も。なかなか駐車場に入れられないのは、「ゆっくり休息ができずにいる状態」を示す場合もあれば、「秩序や社会的ルールに則った生活ができていない自分について」を表すこともあるので、夢の全体や現実の経験を重視。
男性性の太陽に対し、月は女性性や母性。無意識的直感、感情や隠された本性、神秘などを象徴。受動的態度、弱さや従順さを暗示する場合も。
夢の中の月が満ち欠けしているのを見ている場合は、変わり行くものを指し、生死や再生、上昇の後の転落や、その逆を示すこともあります。
満月はパワーに溢れていますが、時に内的緊張や興奮、エネルギーは充電されているものの、肯定的に表現できず、身体に溜まっている事を知らせているケースも考えられます。又、ルナーティックといわれる精神的不安定さを促すメッセージの場合もあり、全体のイメージを重視して下さい。
月光が印象に残る場合には、内省が進んでいたり無意識を探っている現われ。しかしあまりに幻想的な場合は、物の見方がロマンティック過ぎるので、矯正を促しているかもしれません。
周囲を威圧したい時や競争心が強まっている時などに現れやすい象徴。又、先手必勝や奇襲攻撃で相手を屈服させたい欲求などを暗示する場合も。
爪の状態が、心身の健康や経済的問題を表したり、攻撃性や、前進する為のエネルギーの状態などを暗示。爪が割れたり欠けたりしているなら、健康状態や経済面での損失などに注意を促している場合も。爪を磨いたり、研ぐのは、能力や才能、隠された武器を磨いたり研いだりしている場合や、単に非常に退屈をしてる、或いは自分に満足できずに非凡を求めている場合も。爪を綺麗に切っているなら、余計な攻撃性が必要ないことを知り、今後は防衛的にならずによい関係が作れる可能性も。
一般的に、左手は受ける手、無意識的選択、女性らしさ、母性。右手は与える手、意識的選択、男性性、父性に関係します。「誰かが右手を差し出してくれる」のは、援助を受けられる暗示。「左手に傷を負っている」は、意識が先行しすぎて、本当の感情や無意識に無理をさせている場合も。他にも仕事や生計状態、家族の意味もあり、「美しい手」は仕事の繁栄、「汚れた手」は不調や良くない仲間や仕事に手を染めている危険性、又は家族の健康状態を示す事も。「手をきれいに洗う」と、浄化された良いエネルギーが生まれ、状況の好転も。「異性と手を繋ぐ」のは、セックス、又は、両性の統合がなされた調和した状態を表します。人間の生活に常に密接に関わり、重要な役割を果たす一部なので、その象徴は幅広く、その他の事象と関連させて観察してください。
差出人が実在の人の場合は、その人に対して抱いている感情が内容に現れている暗示。またはその人と近づきになりたい、関心を持たれたい願望の場合も。出す側なら、その人との関係に何らかの変化や進展を望んでいるが、何かしら契約書のように書面にしておきたいくらいの、ハッキリさせておきたいことがあるのかも。未開封の手紙は処女性を暗示する場合も。手紙を受け取って読まないのは、無視していること。受け取った手紙に書いてある内容には自分の本心や問題解決のヒントが含まれることが。
受信したものを見ていることから、無意識がキャッチしたものを客観的に眺めている場合や、気づきや認識が浅い現実や心の動きについて、人事や遠いものとして眺めている状態であることも。自分がテレビの中にいるのを見ているなら、新しい可能性を探っていたり、外から見える自分の姿に気を向けている可能性が。テレビのスイッチを消すなら、外からの刺激や情報を避けたい気持や、目を逸らしたがっている可能性も。
生命のパワー、波動や周波数を象徴。エネルギーと同じで、電気が流れるような場合はその状態に着目。勢いがあるのか、ショート寸前なのか、漏電、力なく点っている程度かなどで、身体や状況を暗示する場合が。
夢の中で電球や蛍光燈に気が向く場合、あかりがついていれば、ひらめきや思考の冴えを暗示。点っていない場合は、新しい考えを得るように気持や思考を広げるように促すメッセージの可能性が。また、あかりは洞察力や知恵、導き、安心感、日の当たる場所などの意味を持ち、今いる場所に満たされた状態であったり、活気付いている時には美しく輝く場合が。 逆に、灯かりが突然消えたり、停電など、闇の中に陥る場合は、自分の居場所を失う不安を抱えている場合が。或いは、まっくらになることは盲目を指す場合もあり、冷静に現実的に物事を見直すことを促している場合も。
純粋さ、清らかさ、浄化の象徴。自分の中の天使の面を取り戻したい、又は救われたい無意識を表す事も。重要なメッセージを運ぶ使いの意味もあり、しっかりと耳を傾ける必要が。状況によっては近づいてくる誕生、又は死を暗示している場合も。
人生そのものや、バスが暗示するより大きな社会、社会的地位や立場等を暗示。属する社会や、それらを動かす力。一般にあわせた方法や、習慣化した頑固なパターンも表す。乗り遅れるのは社会的好機を逃すことへの恐れや後悔、自信のなさ、立場への焦りや不安を示す場合が。
どの電車に乗って良いのか迷っているのは文字通り人生の進路への迷い。誰かと違う電車にのる場合はそれぞれの進む道が違う暗示などの可能性も。又、それぞれ目的地に向けて好き勝手に同じ車輛にのり合わせているようでいて、縁や運命により、ひとつの箱で、同じ場所に運ばれるような大きな力や、過去生・未来生などを暗示する場合も。旅の電車なら、新しい可能性を探している場合も。
通勤通学などでなじみが多い人は日常からの連想も大切に。
何かを伝える。伝えたいサインや願望。無意識の世界とのコンタクト。
「誰かが電話をしてくる」=大切なメッセージを伝えようとしていたり、自分自身の直感。自分の気づかない側面との接触。
「誰かに電話する」=その人の特質や、その人とのコミュニケーションを求めている。
「電話が出来ない」=かけている相手とのコミュニケーション を避けたがっている場合も。
「電話がかからない」=何度かけても番号を間違って押してしまったり、繋がらない夢は、焦りとストレスを暗示(番号がはっきりしている時には番号の意味も考慮)。夢と中と同じく、「思うように運ばない」現実があったり、「やらなくてはいけないけれど上手くできないこと」がある場合に現れやすい。「相手が出ない」場合は、自分の気持ちに気づいてもらっていない、または相手が自分に接触出来ないでいる事を象徴する場合も。
「誰にも繋がらない」=「誰も自分の気持ちを解かってくれない」と孤独感にさいなまれていたり、逆に、自分がコミュニケーションを避けたがっている場合も。
「違う相手ばかりに繋がってしまう」=自分の状況や本心が把握できなかったり、混乱している事も。
通りぬけたり中に入るのは、自己発見や成長のチャンス、発見。感情や時期の変わり目、新しい関係や仕事への入り口の場合も。また、扉の向こうが不思議な世界であるなら、無意識世界や高い精神性への入り口を見つけた暗示。ただし状況によっては危険な扉である可能性も。
正面玄関は前向きさや自信、人との付き合い方を暗示。裏口はプライベートや秘密、追い出してしまいたい事柄を暗示。表の入り口は子宮へ続く膣の入り口、裏口は肛門という説も。閉じられた戸は、周囲の人や援助・救いを締め出す態度や、前進を阻んでいる恐れや防衛、否定的な殻をかぶっている心やブロックを暗示。自分でドアを閉めるのは、プライバシーを守ろうとしたり、人間関係等の終りを表すことも。
排泄の場所。体験した事の中から、不必要なものを洗い流してしまう場所。「排泄物」は、感情的わだかまりや、不要になった考え方。
トイレを汚さず、日常のように用をたしていれば、次のステップは間もなく開ける暗示。トイレに行きたいのに思うように行けないのは、溜まっている思いをどう処理してよいのか、まだ迷っているのかもしれません。用はたすものの、他の人から非難されるのは、吐き出す事への不安。トイレが外や、通常とは事なる場所にある場合は、不用意に内的な感情をさらけ出してしまう危険性も。突発的な行動には注意が必要。
現実逃避、恋愛・性的高揚など。異なる側面からでは、高い所から全体を見下ろし、自分のあり方を確かめたい場合や、向上心の現われ、大いなる力を獲得し、眼下へ還元したい欲求などの象徴。上昇と落下を繰り返したり、その都度冷や冷やしている場合は、現実をしっかり見詰め直す必要があるでしょう。自由への欲求や自立心が高まるときにも現れやすい象徴です。
母なる子宮へ戻り、癒しを得たい欲求。又は、深い無意識を探求、神秘の世界に身を置き瞑想をし、自己を再生させるイメージ。奥深くに貴重な宝物を発見する可能性も。ただし、洞窟の中で迷い、出られない状態は、かなりの精神的疲労を現す場合も。
死んでいた動物が意味するものの死や、それが失われている暗示。またはその動物が表わしている面に依存しすぎていたり、逆に消し去りたいと思っている場合に現れやすい象徴。
自分の中にあるマイナス思考や恐れ、批判などを暗示。対峙が必要な場合に現れることもあり、悪習慣や悪意ある人に関する事柄を暗示する場合も。毒薬を盛られるなら、周囲に対して被害妄想的に神経質になったり、防衛的になっている場合、又は実際に非難されている可能性。逆に盛る側であれば、自分の中の攻撃心や周囲の人へのネガティブな見方や行動への注意を促している可能性が。実際の健康についての暗示としては、排泄や摂取の状態に問題がないか検証を。
強靱な肉食獣のイメージから、権威を象徴。男性的イメージを持たれやすい虎ですが、猫科でもあり、女性性を表します。「勇壮な虎」は、目的の達成や思わぬ幸運を暗示し、逆に「衰えた虎」は失脚や衰退の場合もあります。しかし心的夢では自分や他人に対する恐れや、抑制の効かない情動の現れ。状況によっては、尊大で傲慢な自我の象徴にもなります。
高く飛べるところから、これ迄より精神性の視野が広がったり、ステップアップした時に現われやすい象徴です。平和やメッセージの運び手である意味も持ちます。鳥の種類により解釈は異なりますが、「小さな鳥」は気紛れや、変化が多い恋愛や金銭を示す事もあり、つかまえたり逃げられたりといった状況に照らし合わせて連想して下さい。「沢山の鳥」は、インスピレーションの混乱や迷いを暗示するケースもあります。一般的なイメージ通り、「孔雀」や「ツバメ」「鶴」等は幸運や願望の成就の前触れともされています。
新境地への抜け道や方向性。まだ暗いトンネルにいるなら、先への見通しが悪く不安になっている場合が。また遠くても光が見えているなら、覚悟を決めれば次第に困難は去る暗示。迷路のようなトンネルは、文字通り行き詰まり、方向転換の必要性を示す。また、場合によっては腸や子宮、卵管や食道など、トンネルのような臓器に関する状態を示す場合や、子宮回帰願望やセックスを暗示する場合も。