麿山真実の夢日記 2
 

記憶の中の2番目に古い夢は、先の夢と同じく3歳の頃です。当時は関東に暮らしていました。夢を見たのは、先週とほぼ同じ時、期せずして全く同じ、珍しい3月の積雪の日でした。
毎年思い出しながら、今年になって掲載しようと思っていたのも面白い縁です。

夢の中でも、雪が降っていました。私はいつもの勝手口からではなく、あまり使わない正面玄関から外に出ようとしていました。雪はもう沢山積もっていました。雪で遊ぼうと思います。しかし玄関を出ようとすると、すぐ左に、たてがみが立派なたくましいライオンが座っているのに気づきました。一瞬すくみますが、何とか隙をついて、前をすり抜けようと思案します。しかし、出ようとすると見透かされて「がおーッ」と大きな口を開けて見せるのです。ほえた声と、開いた大きな口が怖くて、途方にくれました。「出たら、噛まれてしまうかもしれない」と思いました。逆側を通ったらどうだろうと右側を見ました。すると右側には、トラでした。トラはお腹を地面につけて横になっていました。怖くはなくなっていますが、なんだか歯がゆい気持ちでした。

朝、目覚めると、本当に沢山の雪が積もっていました。もしかしたら前日から、雪になりそうだという話を見聞きしていたのかもしれません。その辺りは確かめようがないので、成長してから見ている、「寝ている間に外のことを見聞きしている夢」とは違うものかもしれません。それに、当時の私は、現実と夢の一致という面白みより、夢の中では遊べなかった雪で、現実では遊べることが嬉しいばかり。あれこれ考えたりなどしていなかったことでしょう。

朝食を済ませた後くらいだったのでしょう。私は一人で、いつもは遣わない正面玄関から外に出ていました。勝手口側より、正面玄関前の方が植物が多かったので、雪がふわふわ、多く積もっていることを2階から確認済みだったからです。ドアをあけようとする時まで、夢のことは忘れていたと思います。でも、扉に手をかけた所まで来て、ふと思い出し、不安になったことを覚えています。それでも、「もしライオンがいたら、鍵をかけて部屋に戻ればいい」と作戦(?!)をたて、薄く隙間を開けて、まずは外をうかがいました。もちろん、ライオンがいるはずはありません。「やっぱりそんなわけないものね」と、誰がいるわけでもないのに、気恥ずかしさを隠しながら、ほっとしたのではないかと思います。その後は、夢のことなどすっかり忘れて、夢中で雪だるまを作っていました。

しばらくすると、サイレンが聞こえてきました。近かったことに驚いたのか、心細くなったのか、私は一旦家の中に入りました。すると、奥から父が現れました。「今、お母さんは病院に行ったから、後で一緒に行こうね」と云われました。すぐにサイレンが救急車だったこと、それに母が乗っていたことが解かりました。と、私は何を思ったのか、慌てて通りに出ようとしました。すると父が後ろから「大丈夫だから、おうちに入っていなさい」と大きな声で止めました。
なんだかしっくりこない気持ちのまま、しぶしぶ家に入りました。

臨月だった母は、季節はずれの積雪による道路交通事情もあり、安全のために救急車に乗っていったようでした。彼女は便利な通用口である勝手口から出ていました。黙っていかなくてもいいのにと、としばらくの間ふくれていた記憶もあります。夢の中の歯がゆさがこれだったのかもしれません。しかし、大事ではないといっても、サイレンを鳴らして行ったくらいですから、本当の所、大人たちは大慌てだったのでしょう。

それからしてしばらくして、家族が一人増えました。私は生まれて初めて、まだ皺々の、まさに真っ赤な赤ちゃんを見て、「これ、おサルさん?」と、父に尋ねて叱られました。

雪積もる正面玄関で、外に飛び出そうとした私は、大きな声で「雄ライオン=父」に止められました。彼はまさに玄関の左側に立っていました。私が追って出ようとした通りは、玄関を出てすぐ右です。母性や出産の意味を持つトラは、夢でも右側に横になっていました。それが母を暗示していたのかもしれません。救急車も、家のすぐ右に停まっていたそうです。

記憶の中で、2番目に古い夢は、小さな潜在知覚夢ともいえるかもしれません。新しい生命を迎えるという、大きなことが身近に迫り、子供の無意識は、いつもより沢山の刺激を受けていたのかもしれません。今年も、季節はずれの3月の雪の日、に生まれた赤ちゃんがいることでしょう。後々「あなたが生まれた日はね」と沢山話してあげた欲しいと思います。どうぞいつまでも健やかでありますように。

(’05.03.08.掲載)